2007年04月15日
世義寺
世義寺について書きますね。
世義寺(せぎでら)は、伊勢市岡本に位置する真言宗醍醐派のお寺です。
醍醐派といわれてもわからないでしょうが、わたしもわかりません。
世義寺の属す真言宗は、平安時代の天才・空海(「弘法も筆のあやまり」の弘法大師のことです)が日本で開いた密教の宗派です。
ネットとか本で調べたら世義寺には「せぎでら」というルビがふってあるのですが、わたしの親も祖母も「せきでら」と「き」を濁らずに発音しています。
たぶん、伊勢市民は「せきでら」と発音しているのじゃないかなあ。
実は、わたしの本名は世義寺で姓名判断をしてもらってつけたものなんだそうです。
のちにジャスコ(昔、伊勢市駅前にあったジャスコです。A館のほうです。いまはありません。B館もありません)の占いコーナーにいた占い師に見てもらったら、「まあまあの名前」と言われ、母親は腑におちていない様子でした。
それはともかく、世義寺は、その昔、聖武天皇の勅令によって行基という偉いお坊さんが建立したものですね。
行基がいた頃は真言宗はまだなかったので、世義寺は最初はちがう宗派だったのでしょう。
ものの本によると、世義寺は最初は修験道のお寺だったということです。
修験道というのは、有名なのは役小角という人が代表者ですね。修験道の開祖です。
呪術を使ったらしいですよ。
それはともかく、1回だけ世義寺のお祭りに行った記憶があります(あまりよく覚えてないのですが)。
世義寺のお祭りというのは、調べてみると、毎年7月7日に行われる柴燈大護摩(さいとうだいごま)法要のことだそうで、伊勢の夏の風物なんだとか。
そうだったのか。
なんと、世義寺の柴燈大護摩は、千葉県にある成田山新勝寺、静岡県にある秋葉山秋葉寺の護摩とならんで、日本三大護摩だそうです。
知らなかった。
死ぬまでにもう一回くらいは世義寺の柴燈大護摩に行ってみたいですね。
世義寺(せぎでら)は、伊勢市岡本に位置する真言宗醍醐派のお寺です。
醍醐派といわれてもわからないでしょうが、わたしもわかりません。
世義寺の属す真言宗は、平安時代の天才・空海(「弘法も筆のあやまり」の弘法大師のことです)が日本で開いた密教の宗派です。
ネットとか本で調べたら世義寺には「せぎでら」というルビがふってあるのですが、わたしの親も祖母も「せきでら」と「き」を濁らずに発音しています。
たぶん、伊勢市民は「せきでら」と発音しているのじゃないかなあ。
実は、わたしの本名は世義寺で姓名判断をしてもらってつけたものなんだそうです。
のちにジャスコ(昔、伊勢市駅前にあったジャスコです。A館のほうです。いまはありません。B館もありません)の占いコーナーにいた占い師に見てもらったら、「まあまあの名前」と言われ、母親は腑におちていない様子でした。
それはともかく、世義寺は、その昔、聖武天皇の勅令によって行基という偉いお坊さんが建立したものですね。
行基がいた頃は真言宗はまだなかったので、世義寺は最初はちがう宗派だったのでしょう。
ものの本によると、世義寺は最初は修験道のお寺だったということです。
修験道というのは、有名なのは役小角という人が代表者ですね。修験道の開祖です。
呪術を使ったらしいですよ。
それはともかく、1回だけ世義寺のお祭りに行った記憶があります(あまりよく覚えてないのですが)。
世義寺のお祭りというのは、調べてみると、毎年7月7日に行われる柴燈大護摩(さいとうだいごま)法要のことだそうで、伊勢の夏の風物なんだとか。
そうだったのか。
なんと、世義寺の柴燈大護摩は、千葉県にある成田山新勝寺、静岡県にある秋葉山秋葉寺の護摩とならんで、日本三大護摩だそうです。
知らなかった。
死ぬまでにもう一回くらいは世義寺の柴燈大護摩に行ってみたいですね。
2007年04月15日
伊勢志摩国立公園
伊勢志摩国立公園について書きます。
伊勢志摩国立公園……。
行ったことがあるだろうか。
伊勢志摩国立公園にはないかもしれない。
もしかしたら、伊勢志摩国立公園に遠足で行ったかもしれないが、よく覚えていません。
と思っていたら、伊勢志摩国立公園とは、志摩半島一帯に広がる地域全体をさしているようです。
だから、伊勢志摩国立公園には知らない間に行っているのでしょう。
ともかく、伊勢志摩国立公園は、日本でも代表的な海洋公園だそうです。
で、伊勢志摩国立公園は、志摩半島一帯からなる公園なので、伊勢市以外にも広がっていますね。
たとえば、伊勢志摩国立公園には伊勢には、夫婦岩で有名な二見浦、美しい緑の島々が目にまぶしい鳥羽湾、牡蠣の養殖で有名な的矢湾、ほかには、英虞湾(あごわん)、五ヶ所湾など景色のきれいなところがたくさんあります。
そしてなんといっても、伊勢志摩国立公園の特徴は、リアス式海岸。
リアス式海岸は学校で覚えた言葉としては記憶に残っている方でしょう。
最近では、リアス式海岸といわずに「リアス海岸」というのをご存知ですか。
というのも、もともと「リアス」とは「リア式」という意味なのですね。
だから、「リアス式海岸は」は本当は「リア式式海岸」という意味だったのです。
「荒川」を英訳して「Arakawa River」と言っているのと同じような間違いです。
伊勢志摩国立公園の海側の見どころとしては、横山展望台、ともやま展望台、大王崎、麦崎、御座白浜、二見浦、南張海岸、 パールロード、離島(坂手島・菅島・答志島・神島)、二見菖蒲ロマンの森、和具大島のハマユウ、海鳥 などがあります。
伊勢志摩国立公園の陸側の見どころとしては、もちろん伊勢神宮はそうですが、金剛證寺のある朝熊山(あさまやま)が最も高い山で、見晴らしがいいようですよ。
行ったかどうか記憶にないのですが(笑)
伊勢志摩国立公園……。
行ったことがあるだろうか。
伊勢志摩国立公園にはないかもしれない。
もしかしたら、伊勢志摩国立公園に遠足で行ったかもしれないが、よく覚えていません。
と思っていたら、伊勢志摩国立公園とは、志摩半島一帯に広がる地域全体をさしているようです。
だから、伊勢志摩国立公園には知らない間に行っているのでしょう。
ともかく、伊勢志摩国立公園は、日本でも代表的な海洋公園だそうです。
で、伊勢志摩国立公園は、志摩半島一帯からなる公園なので、伊勢市以外にも広がっていますね。
たとえば、伊勢志摩国立公園には伊勢には、夫婦岩で有名な二見浦、美しい緑の島々が目にまぶしい鳥羽湾、牡蠣の養殖で有名な的矢湾、ほかには、英虞湾(あごわん)、五ヶ所湾など景色のきれいなところがたくさんあります。
そしてなんといっても、伊勢志摩国立公園の特徴は、リアス式海岸。
リアス式海岸は学校で覚えた言葉としては記憶に残っている方でしょう。
最近では、リアス式海岸といわずに「リアス海岸」というのをご存知ですか。
というのも、もともと「リアス」とは「リア式」という意味なのですね。
だから、「リアス式海岸は」は本当は「リア式式海岸」という意味だったのです。
「荒川」を英訳して「Arakawa River」と言っているのと同じような間違いです。
伊勢志摩国立公園の海側の見どころとしては、横山展望台、ともやま展望台、大王崎、麦崎、御座白浜、二見浦、南張海岸、 パールロード、離島(坂手島・菅島・答志島・神島)、二見菖蒲ロマンの森、和具大島のハマユウ、海鳥 などがあります。
伊勢志摩国立公園の陸側の見どころとしては、もちろん伊勢神宮はそうですが、金剛證寺のある朝熊山(あさまやま)が最も高い山で、見晴らしがいいようですよ。
行ったかどうか記憶にないのですが(笑)
2007年04月15日
伊勢市の簡単な沿革
伊勢市についてざっと解説しておきます。
伊勢市は県の中東部にあります。
そして鳥羽市の西にある。
なんといっても、観光都市という側面が強い。
伊勢神宮。
やっぱこのおかげ。
伊勢神宮を中心に発展してきて典型的な門前町なのです。
歴史。
明治22年(1889年)、宇治・山田の両町が合体して宇治山田町となりました。
明治39年には、市制という法律が施行され、宇治山田市となります。
なんと最初は宇治山田市だったんですね。
そしてこの宇治山田市に、昭和16年、神社(かみやしろ)町が編入します。
昭和18年には、大湊(おおみなと)町と宮本村、浜郷(はまごう)村を編入。
昭和30年には、豊浜村、北浜村、城田村、四郷村を編入して、ここでようやく伊勢市というなまえになったのです。
しかし、こう書いていると、懐かしい名称ばかり。
ここら辺の名前って、全部学校名になっているんですよね。
全部だったと思うが……。
浜郷小学校っていうのもあるし、豊浜中学校、北浜中学校、城田中学校、四郷小学校という感じでありますね。
まあ、知らない人にはまったくわからないでしょうが(笑)
で、何で宇治山田市をやめたかというと、京都府宇治市や福岡県山田市と紛らわしいからということらしいですね。
まあ、伊勢という言葉のほうが有名だから、このほうがよかったのかも。
ちなみに、宇治山田高校という高校もありますよ。
そんでもって、
昭和30年にはさらに、沼木村が合併します。
昭和32年玉城町粟野地区が合併。
平成17(2006)年に、いわゆる平成の大合併の流れで、伊勢市、度会郡二見町、小俣町、御薗村が合併し、新しい伊勢市となりました。
二見町とか小俣町、御薗村っていうのはわたしには馴染み深いのですが、もうないのですね。
ということで、簡単な伊勢市の歴史でした。
伊勢市は県の中東部にあります。
そして鳥羽市の西にある。
なんといっても、観光都市という側面が強い。
伊勢神宮。
やっぱこのおかげ。
伊勢神宮を中心に発展してきて典型的な門前町なのです。
歴史。
明治22年(1889年)、宇治・山田の両町が合体して宇治山田町となりました。
明治39年には、市制という法律が施行され、宇治山田市となります。
なんと最初は宇治山田市だったんですね。
そしてこの宇治山田市に、昭和16年、神社(かみやしろ)町が編入します。
昭和18年には、大湊(おおみなと)町と宮本村、浜郷(はまごう)村を編入。
昭和30年には、豊浜村、北浜村、城田村、四郷村を編入して、ここでようやく伊勢市というなまえになったのです。
しかし、こう書いていると、懐かしい名称ばかり。
ここら辺の名前って、全部学校名になっているんですよね。
全部だったと思うが……。
浜郷小学校っていうのもあるし、豊浜中学校、北浜中学校、城田中学校、四郷小学校という感じでありますね。
まあ、知らない人にはまったくわからないでしょうが(笑)
で、何で宇治山田市をやめたかというと、京都府宇治市や福岡県山田市と紛らわしいからということらしいですね。
まあ、伊勢という言葉のほうが有名だから、このほうがよかったのかも。
ちなみに、宇治山田高校という高校もありますよ。
そんでもって、
昭和30年にはさらに、沼木村が合併します。
昭和32年玉城町粟野地区が合併。
平成17(2006)年に、いわゆる平成の大合併の流れで、伊勢市、度会郡二見町、小俣町、御薗村が合併し、新しい伊勢市となりました。
二見町とか小俣町、御薗村っていうのはわたしには馴染み深いのですが、もうないのですね。
ということで、簡単な伊勢市の歴史でした。



